
1.負けてられない、60すぎても大丈夫な気がした。
自分よりは若いけど、50過ぎて修行から初めて、すし職人になる決断は半端じゃ出来ないよなあ?見ながら他人事のように、思ってたのに、俺だって60過ぎてからブログ初めて何も変わらない。10歳位年上だから余計悪い!一転してひ他人事では無くなった。ミシュランなんて、アドセンス審査より大変だろう?比較になるか、どうかも分からないが、勇気をもらったことに間違いない。自分もまだまだ、だな
2,すごい人は、凄い。休まず、修行なんて無理。
そんなことを思いながら見てる時点で、アウト!かもしれない。でも出来ない。ブログでなんとか食おうとしてるのは、年からがい訳にして、力仕事は、チョットとか、動きが鈍いですとか、言ってる。考えてはいるつもりだけど、「50過ぎてからが、なんでもできますよ」。ってやっぱり凄いは!こうならなきゃ駄目なんだろうけど、それでも無理です。

3,理想の仕事は体に無理させず、長ーく出来る事。
を目標にするつもりだ。まず、アドセンスの審査に合格目指すつもり。それも出来ないなら、すべてが成りたたない。結構我儘、に思えるかもしれない。しかし、いまの自分にはこれじゃなきゃ、ダメなのだ。出来ないのだ。悲しいことについていけないのだ。
元家族に会いたい、勝手な言い分だけど。
お盆が過ぎてしまった。今年も会えなかった。息子のラインに転んだところが映っていた子供は多分”孫”だ。違う写真は、まるで息子の小さいときだ!そっくりなのだ。あの頃、スマホでもあれば、もっと沢山写真あったのだろけど、いつも持ち歩いているだろう。二つうえの娘といつも思い出せるのに。孫にあえたら沢山納めておこう。
誰も来ないなあ、
昔から、にぎやかに暮らしてきたから、寂しいのはしんどい。周りも亡くなったり、引っ越ししたりで、居なくなった。寂しいのは、俺がいい加減な生活をしてきたからだからだ。自業自得だ。
それでも、仕事も辞め、体調もすぐれなくても、ここに居たいのは、やっぱり生まれた所だからだろう。知らない人が不便だとか、引っ越せとか言っても、出る気にならない。こんなもんだと思ってる。離れたこともあるが、また戻って来てしまう。不思議だ。
多分、死ぬまでいるのだろう。
安心するんだ、この不便で何も所が。学校も無くなった、集会場さえ無くなった。人も減っている。
この歳になっても、親父と話した事や、祖母と話した事、母、姉弟と暮らした事を思い出す。
反省ばかりだけど。特に父があの時こう言ったとか、こんなことで喜んでた、〇〇が好きだったよな、などふと思い出すのは、ここだからかも知れない。スイカ積んでるトラックによじ登って落として叱られた事、冬にトラクターを運転して、道路わきに嵌ってしまった事。50年前の記憶が,蘇ってくる。一緒にスイカ作る事は出来なかったけど、ここに居続ける理由なのかもしれない。
俺がしっかりしてれば、こんなにばらばらにならなくても、よかったのかもしれない。先祖にもどうしょうもないバカで顔向け出来ないです。もう少し居させてくださいね!


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