
今日は祖母の命日。ふと思い出すのは、小さな背中とあたたかな手の温もり。今も変わらず、心のどこかで私を見守ってくれているきがします。子供のころ、学校から帰ると台所に祖母の姿があった。「おかえり」と言いながら、煮物の匂いがふわっとひろがる。「なんかないの?」と、俺が仏壇を確認しながら言うと、「何も無いけど、おにぎりでもたべるか?」といつも作ってくれた。当時はおやつなど無く婆さんに何か作ってもらうか、あれば畑でイチゴ、さくらんぼ、ぶどうか、トマトなど摘まんでいた。お菓子などは貰ったりした時に、仏壇に供えてあった。だから仏壇を見てから、声を掛けた。しばしばあったりしたら、「仏壇のお菓子食べていい?。」と必ず祖母に確認していた。「全部はだめだぞ」と言いながら、「皆の分も残してな。」と言いながら、分けてくれた。優しい祖母だったのを思い出す。今、俺は「朝、ご飯を仏壇に供える」そんなこともせずにいる。とんでもない罰当たりだ。だから時々食べ物にふじゅうするのかもしれない。「年寄の言うことを馬鹿にするからだ」と怒ってそう。
二十歳になったお祝いに時計をくれた。
免許証を取ったら「載せてもらうから」と車だいも出してくれた。アッチコッチ載せていきました。そんなことくらいしか出来なかったけど。お陰で結婚もできました。良かったのは、オババに曾孫を見せれた事だ。子供も懐いて田植えした田を見て「お米の赤ちゃん」と言って、オババに微笑んでもらってました。オババが亡くなった平成6年の今日、その子供達が「オババ、優しかったー」と号泣していました。上の子が4歳になったばかり、弟が2歳でした。親の方がビックリでした。曾孫にもこんなに印象深く残っていたんだ。優しかったもんね!
あれから何十年。私は今、収入の収入の不安や仕事の悩み、未来の事を考えながら毎日を生きている。
でも、ふと祖母の笑顔を思い出すと「なんとかなるかぁ」と思えることがある。親父の分まで長生きして、俺を励まし続けてくれた祖母。今でもなにもできづに居るけど、今日を境に変えてみせるよ。今は今はただやりかたがかが分からないだけなんだ。明日には解決したい。そしたら良い報告するからね。別れた嫁の誕生日が命日なんて、運命てきなものがあるかも知れない。
仏壇に手をあわせるたびに、昔の自分と今の自分が重なるような気がする。
今日という日を生きるために、あの人がくれたやさしさを、もう一度心に灯したい。祖母が私にしてくれた様に、私も誰かの支えになれるように。
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