
小さかったあの頃、三人の子供たちはそれぞれ違う性格で、賑やかだった日々が今でも目に浮かびます。長女はオマセでママが口ばっかりだとからかうと「目も鼻もあるや、耳もあるし・・」と言い返していました。それを聞いて、ママと目を合わせて笑いました。弟は、それほどしゃべりもしなかったけど、じっとしていない性格で知らない家でだまって水を飲んでたり、祖母ちゃんのいえで川に入り遊んだりしている、やんちゃな子供でした。その二人と近所の店にいったところ姉が店番の爺さんに、「弟を見てて」、と頼んでいた。どうやら買い物の邪魔だったらしい。困った顔の爺さん。その様子が楽しくて、思わず笑ってしまった。その二人と「神威岬」に行った時の事、いつもはあまり話さない弟が、「雨ですね」と知らない大人にニコニコ話しかけている。何時の間にか天気が崩れ弱い雨が降って来てる。その大人も「そうだね」とニコニコしながら、返してくれた。意外な一面にビックリしたのを覚えてる。ママもそのようだった。その頃は俺もパチンコ依存ではなく、普通に家族と楽しく暮らしていた。デイズニーランド行ったり、お袋がたの親戚を頼って、遊びに行ったりしていた。7年後に妹が生まれた時は、皆で可愛がりママに叱られると姉の後ろに隠れる程の仲良しだった。その頃俺はパチンコばかりしていた。農家も上手く行かなくなり、仕事しても、ロクに給料も入れずに、そんな事ばかりしていた。「別れて」っていわれた時、「当たり前だな」。嫌だとは言えない。それからは、残っている下の子と会える時は遊びに誘った。。金が無いので「とまりん館」ばかりだった。泳ぎにも行った。在る時は奮発して遊園地に誘ったら、遊具に乗ったら「怖い」と泣き出す。そんな絶叫遊具ではない。無理に載せてもいない。思ったより怖かったのだろう。気持ちが分からなった。てっきり喜んでくれると思っていたのに・・・。
その後ママとピアノの発表会で乗ったジェットコースターは楽しかった
と報告があった。なんで?やっぱりパパとならつまらないのか?ピアノも月謝もママまかせでなにも言えない。ママには感謝しかない。お前たちが進学の時期になにもしてやれなっかた。今度は俺がお前たちの為に稼いでやる。と思いながらブログ書いてる。これから出来る事はそんなことことくらいだから。
小さい時、お前たちがくれた笑顔は今でも忘れない
こんな親父の所に生まれなきゃもっといい生活できていたにに・・・。と思わせていたかも知れない。許してくれ。これからは頑張って稼ぐよ。とりもどすくらい稼げたら会いに行くよ。そしたら会ってくれるかな?家族が増えても小遣いくらいやれるように、頑張ってかせぐよ。だから会ってくれよ。
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