おはようございます。北海道の山奥住の孤独なオヤジです。
今朝も誰も居ない静な朝を迎えています。話す相手も居ない朝、外を見ても居ない。自分だけの朝です。
昨日車が変でみてもらいました。後輪辺りから異音がするのです。結果は後輪を支えている部品の一部が経年劣化して部品を取り換えなければダメ。その部品は10万円位するとのことでした。
それを聞いて直ぐに修理をお願いできず、そのまま戻って来ました。そんなお金を仕度できません。しかし、家は山の中の1件屋。車が無いと何も出来ません。自分の金の無さに呆れます。情けない。こういう事に何
も心配しないで生きて来た、自分に、呆れます。60年もこんな事をしてきたんだ、多くの知り合いやら、親戚に迷惑をかけて来たんだ。今更反省してます。
直さなければいけない事です。困ったら人に頼るのは、辞めます。
車の件も何とか自分で解決出来るようにしなければ・・・もう60歳越えてるぞ!
車無くても歩けばいいさ、まず修理なのか、そんなに掛かるなら違うのを見つけるか、じっくり考えて決めよう。
どうせスローライフなんだから、むかしは平気で歩いていたし、出来ない事はないはず。
違うのは「年取った」事位だ。結構違うか?その分、電話など便利になったことも増えている。在宅で仕事が出来る時代だ、なんとかなる。それより子供に会えない事のほうが辛い。振り返ると、長生きしすぎかな?いろんな事があったなあ?行きつけの整備屋もなくなって相談もし難いし、
「泥棒をみてから縄をなう」
タイプの人間だったので、有事に備えることはしてない、浅はかな人間だった。
振り返ると、子供生まれたときに「学資保険」に入った時から、そんな事はしてない。とんでもない人間だ。俺なんか「屑」みたいな人間だった。
今更だけど、この歳になって、そういうのは辞めて生きて行くことにする。
もう遅いかもしれないけど、今までをけることは出来ないから、これから死ぬまでは、もうしない。ちゃんと生きていかないと孫に会うことも出来ないような気がする。
こんな画像はまさに理想だ。孫に嫌がなければ、ずーっと抱きしめていたい。「じーと」呼んで欲しい。何が好きなんだ?何して遊ぶんだ?見ているだけで幸せだ。やっぱり「孫」は特別な存在なのかもしれない。会ったことが無くても、前からいた様な、感じは、なんなんだろう?愛くるしさはなんだ?笑顔の可愛さは特別だ。
先輩方が「孫は特別だ」の意味がわかる。これなのか?
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