僅か30人程の小さな学校でした。同級生は8人。先生は4人。悩みはグランドが小さく、ソフトボールで大きな当たりがでると、すぐ飛び越えて、田んぼに入ってしまう事。それだけが不満でした。体育館も広くは無かったけど、全校生徒30人なので、学芸会、卒業式、入学式、もやっていました。
6年になると、1年目の新任せんせいがきました今までも移動はあったのですが、若い先生が来ることになって、歓迎会のときは生徒も居ない父母もみんなで歓迎しました。住宅もその生徒が居ない所の秋部屋に決まりました。若いなり立ての先生に、妙に親近感を覚えたのを思い出します。その先生も初めての仕事がこんな田舎で、ビックリした事でしょう。すぐ車の免許を取りにいってました。その先生は優しく、親しみがあり、とてもいい先生でした。友達みたいな口を利いていたのをおもいだします。先生元気かなあ?
あの頃にはめずらしく、校長は女性でした。
町内でも、あそこの小学校の校長が女性だ。と噂になりました。その校長は、音楽が好きで、妹もピアノを教えてもらってました。ピアノなんか無かったので、使っていた物を、安く
と譲ってもらいました。自宅にピアノが来たので珍しいやら、ビックリしたやらで、なんか生活レベルが上がったきがしました。が今はもうありません。それでも妹の役に立っていたんだと思います。
もう一人の先生は、海で育ったかたでした。子供も同じ年位でした。
海水浴の時波が高いのに平気で泳いで居ました。下手すれば「中止」かとも思ってましたが、その先生は平気で泳いでます。しかも自分たちを誘って来ます。波と同じように、浮いていました。波に逆らずに、高くなれば体も一緒にそれなり高く泳いでます。時々海にも行きますが山育ちの自分たちには、波が高いから泳いではいけません。となると思って居たので不思議な気分だったのを覚えてます。今では年齢的にOUT!
小学校の頃は後4人の先生が居ました。入学した時の担任、その時の校長先生。
その時のいた女の先生、すこし怖かったけど、楽しい先生。あの時はお世話になりました。もうあの学校は閉校になりました。校舎もありません。
けど俺たちは、なんとか生きてます。教えて頂いた事を糧に頑張ってます。
この頃、昔のことばかりおもいだします。死期が近いのかも知れません。
記憶のなかでは、先生もあの時のままです。自分も小学生です。
いつの間にか「還暦オーバー」ですけど。
コメント