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揺れなかった町で感じた違和感──静けさの中で気づく“田舎の防災”

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田舎の暮らし

昨夜、突然テレビの速報が鳴り響いた。


遠く離れた地域で大きな地震が発生し、揺れを感じたという声が次々と流れてきた。
けれど――わたしの住む小さな町は、いつもの夜と変わらない静けさだった。

雪の匂い、冷たい風、変わらない暗闇。
あれだけ派手に防災無線が鳴り響いたのに、体はまったく揺れを感じない。
“あれ、本当に地震あったのか?”と疑うような、妙な感覚が胸に残った。

この“温度差”こそ、田舎に住む特有の体験なのだと思う。

■ 揺れなかった理由を考えると、田舎の環境が浮かぶ

町全体がしんとしている。
建物の数も少なく、車もほとんど通らない。
都会にあるような高層ビルや、地面を響かせるような自然の共振もない。

だから少し離れた場所の地震なら、
環境そのものが揺れを吸収してしまうのだろう。

さらに雪国特有の住宅構造も影響する。
断熱材が厚く、家全体が“重くて強い箱”のようになっているため、
地震の揺れが伝わりにくい。

「揺れなかった=安全」ではない。
でも“揺れを感じにくい土地”で暮らしているのは確かだ。
それが安心のようで、どこか心もとない。

■ 揺れなかったのに警報だけが響く、その不思議

体は揺れを感じないのに、
テレビと防災無線だけが大騒ぎしている――
この矛盾した状況が、逆に不安を連れてくる。

“本当に何も起きていないのか?”
“知らないだけで、どこかで大変なことになっているのでは?”

静けさの中に情報だけが飛び交うと、
余計に“揺れなかった自分の町”が異世界のように思えてくる。

■ 昨日、外に出て確かめた。

結果:まったく被害なし。
風が強くて外の作業はできなかった 

風が強くて外の作業はできなかったけれど、
家も道路も雪も、そのままだった。

無駄足だったのかもしれない。
でも、確かめに行ったことで気づいたことがある。

「田舎では、自分の身は自分で確かめるしかない」
という、当たり前で大事な感覚だ。

■ 車の燃料は“命綱”。昨日あらためて実感した

田舎では、避難も買い物も病院も、すべて車。
いざという時、車が動かなければ何もできない。

だからこそ、

ガソリンは常に半分以上

冬は満タンが理想

停電時は車が唯一の電源になる

昨日のように、
揺れなかったのに警報だけが鳴り響く夜を経験すると、
「備えの重要性」が身にしみて分かる。

都会と違って、助けがすぐ来るわけじゃない。
自分の命は、自分で守るしかない。

■ “揺れなかったから大丈夫”ではなく

“揺れなかったからこそ、危機感を持つべき”

これは田舎暮らしの本質だと思う。

情報は届く

体には何も伝わらない

でも被害は突然やってくる

このギャップが、田舎の防災の難しさであり、特徴でもある。

揺れなくても、
停電・吹雪・道路の寸断は突然起こる。
特に冬の北海道では、それが命に直結する。

だからこそ、

車の燃料

ライト・ラジオ

毛布

非常食

ポータブル電源

“揺れとは関係ない備え”が、実は一番大切。

■ 結び

昨夜、揺れなかったことはたしかにありがたい。
でも、その静けさの裏側で、
「備えなければいけない」という気持ちが強くなった。

田舎で暮らすということは、
自然の中で身を守りながら生活するということ。

何も起きなかったことに感謝しつつ、
今日もまた、少しでも備えを進めていく。

それが、ここで生きていくための“日常防災”なのだと思う。

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