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まだ道路がなかった頃の積丹と神恵内:同級生との思い出と40年の時の流れ

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田舎の暮らし

積丹に道がつながっていなかった時代

今でこそ道路が整備され、車で気軽に行ける積丹や神恵内ですが、昔は全く違いました。
冬になれば海は荒れ、風は強く、道は細くて険しい。
今の若い人には想像できないような、そんな“遠い場所”でした。

子どもの頃の私は、その厳しさも含めて、この地域の空気が好きでした。
不便だったけれど、その不便さがなんとも言えない味わいでもあったのです。

神恵内で過ごした、同級生との時間

神恵内には、当時一番仲の良かった同級生がいました。
何度も泊まりに行き、夜の海の音を聞きながら話をしたり、海風の匂いを感じながら歩いたり…。

いま思い返すと、あの静けさと、どこか温かい雰囲気は特別なものでした。
会わなくなって何十年も経つけれど、記憶の中の彼は当時のままです。

今度会えるかどうかも分からないけれど、思い出だけはしっかり残っている。
それが嬉しいような、少し切ないような、そんな気持ちになります。

40以上年以上経っても消えない、あの頃の記憶

積丹も、神恵内も、40年前とは大きく変わりました。
観光道路も整備され、昔のような“秘境の空気”は薄れました。
人も減り、家も少なくなり、静けさの種類も変わった気がします。

それでも、景色の奥にある「昔の風景」や「冬の海の匂い」は、今も心の中に生きています。
地元に残った自分だからこそ、覚えているものがあるのかもしれません。

ここには、時代に流されない何かがあります。
それは、私の心の支えにもなっています。

これから地元で生きるということ

年を重ねても、この町で暮らしている理由ははっきりしています。
“安心できる”からです。
小さな家でも、古くても、ここに帰るとホッとする。
子どもの頃から変わらない空気が、まだ残っている。

これからも、このブログで地元の思い出を少しずつ残していきたい。
有名にならなくてもいい。
ただ、この町で生きてきた人たちの苦労や温かさを、誰か一人でも知ってくれたら、それで十分です。

最後に

40年以上前の思い出をこうして書いてみると、胸の中が少し暖かくなります。
寂しさもあるけれど、「残しておきたい気持ち」が強くなります。

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