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「小樽と家族の思い出

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田舎の暮らし

岩内祭りの日に

まだ小学生だった頃のことです。親父が元気で、仲の良い家族と一緒に小樽へ出かけました。移動手段はトラック。荷台に幌をかけて、風を感じながら揺られて行った時間は、今でも鮮明に覚えています。車の座席に座るのとは違い、揺れる荷台にみんなで座って話しながらの移動は、子供ながらに冒険のようで楽しかったものです。

まるで自衛隊のよう

小樽に着くと、まず目に入ったのは運河沿いの倉庫群。まだ観光地として今ほど整備されていない時代でしたが、どこか異国情緒が漂っていて、子供ながらに「特別な町だな」と感じたことを覚えています。親父は寡黙な人でしたが、小樽の町を歩く時は少し嬉しそうにしていて、その横顔も印象に残っています。そのころは、いまほど、警察もうるさくなく、父も、一緒の家族も、ビールと、若鳥の半身揚げなどを頼みました。懐かしく、楽しかった思い出です。まだ、乗用車が普及する前の事です。ワクワクしながら、荷台にマットレスを積み込んだ覚えがあります。田舎育ちの自分には、大事件の楽しかった事件でした。そんな街で、入院することになるとは、思いもよらなかったですが、何かの縁なのでしょうか。

当時の小樽は、

港町らしい活気がありました。大人たちは楽しそうに話をし、子供たちはただ目の前の料理を夢中で食べる。そんな時間が今では宝物のような思い出です。

大人になった今、小樽を訪れると観光地としての整備が進み、昔とは違う華やかさがあります。けれど、自分の中ではあの頃の素朴な町並みと、親父や家族と過ごした時間が強く残っています。小樽という町は、ただの観光地ではなく、自分にとって家族の記憶とつながる大切な場所なのです。石原裕次郎記念館も、未だない時代の話です。

今では、有名ですが

当時は、こんなに有名な街になるとは、思っていませんでした。「岩内」とさほど変わらない所くらいに、思ってました。札幌オリンピックなどもあったんだあ。

親父が亡くなってから年月が経ちましたが、小樽の思い出を振り返ると「もっと一緒に過ごせばよかった」という後悔もあります。それでも、小樽の町に行くと、あの時の記憶がよみがえり、少しだけ親父に会えたような気持ちになります。

これからも、小樽は私にとって特別な町です。そして、この思い出を文章に残すことで、いつか子供や孫たちにも伝えられればと思います。どこか懐かしく、そして温かい小樽の記憶は、これからも私の心を支えてくれるはずです。

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