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「まるで戦後!」停電しても困らない。

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昭和40年ごろ頃、ストーブは薪か石炭で暖をとっていた。水は手押しのポンプがあった。電気のポンプに変えても、停電したら使えないので、取らずにらずにそのままあった。当時はしょっちゅう停電していた気がする。なので一番困ったのは、明かりだったが、ランプもあった。芯をだして、火を付ければ、それなりあかるいし、ロウソクより安全だ。田舎でも更に山間部なので、電気の開通が遅かったのかも知れない。38年生まれの私が覚えているのは、そんな所です。それが普通の事だと思ってました。ただビニールハウスに電気を使う時は、極力電気を使わないように、暮らしてました。テレビも控えてました。プロレスが好きな父が、電気を昇圧する機会を使って見ていた、記憶があります。西瓜の苗のためには、誰も文句を言わず、従っていました。その頃は、はだか電球、に電化製品はテレビ位でした。冷蔵庫も未だ無く(買ったのが遅く)他の家にあると”良いなあ”と思ってました。

それでも不便だと感じた事もなく、「こんなものだ」と思って暮らしてました。もし停電しても、水は確保できる。冬でも寒い思いもしない。明かりが無くなったら、ランプをつけりゃいい。そんな感じで暮らしてました。田舎だからだったのかもしれません。でも、その頃から、無くなっても大丈夫な備えを、して居ました。今でいう、備えです。冷蔵庫がなくても野菜を保存したり、加工したり、今ではできないことも、祖母はしてました。ランプの掃除などは祖父がしていたようです。

 

 

まさしくこんなポンプです。台所の横に在りました。水道ではなく井戸です。

戦後と言われようが、あったんです。撤去しましたが、暫く取ってありました。農家だったので、米は玄米で保存してました。秋に1年分は保存してました。薪は秋に作るか、石炭を1年分保存してありました。灯油ストーブにしたのは最近です。点火も温度も自動なので大変楽ですが、もし災害があったら、使えません。冷蔵庫もエアコンも使えなくなります。そんな事になったら、”戦後の暮らし”などでは無く、更に悲惨でしょう。便利になった暮らしを後戻りすることは、大変で難しいです。水や食料の確保、冷暖房の確保、情報の確保。今の時代はスマホが無いと暮らせません。太陽光で充電できるポータブル電源、手回しの発電機などが必要。ペットボトルの水やレトルトの食料、など最低でも3日分と言われてます。そんなことが無いに越した事はありませんが、南海トラフなど嫌なニュースが聞こえてきます。防災グッズhttps://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=455CZS+1JYT6Q+3ZK2+61Zpx.a8.net/svt/ejp81

ポータブル電源https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3TH2CV+75SR9E+4NJ4+5Z6WY

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