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父との思い出はもう遠い昔話。

北海道の小さな町で暮らしています。
冬の暮らしや仕事のこと、日々感じた不安や出来事を、正直に書いています。
同じように地方で暮らしている方や、これからの働き方に悩んでいる方の参考になれば嬉しいです

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昔はこうだった・そう思い返すたびに、父の背中が目に浮かぶ。

私の父はこの土地でスイカを作ると決め、その覚悟を持って生きて来た人だ。その話を子供の頃から繰り返し聞かされ、いつか自分もと後を継ぐことを決めていた。でも実際は、上手く儲けることもできず、想い描いてようには行かなかった。

今振り返れば、お袋がどれだけ頑張って来たかも、あの時は気づいてなかった。全てを食い潰してしまったような気がして、自分自身が情けなくなる。」

それまでは、この地では、稲と小豆やわずかな野菜を作り、冬は山で薪を作るなどの仕事をしていた。畑や田はせき礫だらけで、じゃが芋等には適さないものだった。そこで父と友人達は、なんとかこの土地で作れるもの、冬働くてもいいような物をと考え、西瓜の栽培を始めたと言う。最初はみんな「そんな、物はできない。」とか、「採れる訳がない。」な

どと笑っていたらしい。ところが試験の結果採れる事がわかったら、みんな真似をしだしたそう。それでも「作りたいなら、作ればいいさ。」と笑っていた。これまでやって来た自信があると、笑っていた。「俺だったら、つくらせない」と子供ながらに想って居た。あれから、60年たつのだ。俺が生まれた年に「らいでん西瓜」の初出荷してから。勿論覚えている訳はない。ただそういわれて来た。今では共和町の代表作物になってる。俺は出来なった。守り続けることも。

父がなくりってから母の働きも、凄かった。車の運転も出来なかったのに、免許を取り、家族皆載せてもらったり、いつからか皆であてにする存在になっていた。俺たち兄弟を何不十なく育ててくれた。農作業を手伝うと言う口実で、学校まで迎えにきてもらったりもした。それなのに、何も恩返しも出来てない。パチンコに狂ったり、離婚したり、迷惑かけっぱなしだ。今更なにも出来ないけど、迷惑かけずに生きて行くようにするよ。両親には迷惑かけっ放しで、申し訳ない。これからでも真面目な親、じーじになれるようにします。。

少しでも食いつぶし分、とり返す様に、馬鹿息子は頑張るぞ!それと、子供や孫に連絡取る事が目標なんだ。そのためにグーグルという会社に入って仕事出来るようになることも、目標なんだ。いい歳して、PCいじってるのも、その為なんだよ。何にも出来なかったバカ息子だけど、これから、ひと花咲かせるつもりだから、応援しててくれ。

今は、あの時から見れば便利になったよ。人は減ってしまったけど。寂しいけどお陰でフジュウなくくらしてます。もう還暦過ぎたけど、これからの俺も見ててくれ!

 

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