
今日、久しぶりに幼馴染に会った。何か月振りだろうか?小学校の頃、雪山で足を痛めた俺を、ソリに載せて運んでくれたあの恩人だ。ただ泣いてばかりで動けない俺に俺に手を指しのべ、一度戻ってソリを取りに行ってから、最後まで黙って引いてくれた。当時は今の様なfrpの軽い物ではなく、木で出来たものだった。今でもあの背中を覚えているし、あの時の温かさは忘れられない。家も近くで年も同じだったから、いつも遊んでいた。
二人とも還暦を過ぎる歳になったのて、体もあちこち悪くなりあの頃の用には動けないなあ。
等と、何時の間にか歳を取ってしまったこと、人口もすかっり減ってしまった事も、懐かしく思い出していた。夜になると明かりもほとんどなく、寂しいさが増す。昔は、人の手や気持ちが一番の支えだったけど今の時代はそれに加えて”道具の力”にも助けられるということ。
特に田舎に住んでいると、電気が止まる止まるだけで生活が一気に不便になる。スマホが使えない、冷蔵庫も止まる、暖房も消える。そんな時頼りになるのが「ポータブル電源」だ。実際、俺も数年前の地震で停電したとき、この存在のありがたさを身をもって知った。
最近は太陽光で充電出来るタイプも多く
キャンプや畑仕事など日常のなかでも使い勝手は幅広い。俺が使っているものは重さも手頃で使いやすく、スマホの充電や照明にもピッタリだ。災害時の備えとしてだけじゃなく、ふだんから”ちょっと安心”を足してくれる存在だと思う。昔の俺を助けてくれたには、人の優しさだっ
た。今の俺を助てくれるのは、技術と道具、そしてその背後にある「備えよう」という思いかもしれない
まだ小学生だったのに、ケガした俺を助けるために、深い雪をこいで何キロも歩いて助けてくれた幼馴染には本当に感謝しかない。あの時、上級生もすれ違っていたけど、誰も手伝ってくれなかった。もしもたち場が反対だったら、俺は助ける事ができたろうか?あの時俺はちゃんと「ありがとう」言えたかな?今でも思い出すほどの”事件”です。あれから何年も経つけど、なにも恩返しできてない。それどころか、助けてもらってばかりいる。家が離れてしまうけど、これからも同じように、付き合ってくれると、」ありがたい。
だからこそ、いざという時の備えとして、一つ持っておくと安心できる。思い出と共に、今の暮らしにもちゃんと目を向けていきたい。
コメント