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「燕が運んでくる春の記憶:静かな町で思う事」

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この町にも、少しずつ春がやって来た。朝の空気が柔らかくなり、どこか懐かしい匂いが風にまじっている。ふと見上げると、電線の上に燕の姿があった。

子供の頃、春になると燕が玄関に巣を作りにきた。親鳥はせっせと泥と藁を運び気が付けばかわいいヒナの声が聞こえて来た。「縁起がいい」と家族も歓迎し、フンなども片付けたりしていた。何故縁起がいいのか、当時の自分にはわかりませんでした。親父はわざわざ巣作りのための棚を作ったりしてました。玄関はいつも開けっ放しでした。燕ファーストでした。「何故、縁起がいいのか」訳は聞かずにいました。でも両親や祖父母もそう行って世話してるし、疑いもしませんでした。まだ小学生だったと思います。50年前の事を思い出すきっかけをくれた燕に感謝です。あの頃は大きくなったら家業を農家を継いで行くと思ってました。それが親父も喜ぶと信じてました。ある夜に「すきやき」を食べながら、「お前は大きくなったら、なにになる?」と言われ「農家をやる」と即答。喜んでくれると思っていたのに、「好きな事をやればいいんだ。」「無理に継がなくてもいい。」と予想外の返事が来たことを覚えています。当時はショックでした。今ならわかりますが、小学生の自分には大きくなったら出ていけと言われているようで、ショックを受けたことを思い出します。振り返ると親父が健在だった頃はなにも心配しないで暮らしていました。お盆や正月には叔父や叔母も帰省して賑やかに過ごしてました。親父と一緒ならなにも心配いらない。50年前の自分はそう思って暮らしてました。そのころは燕も来てました。毎年来て玄関に巣を作って、フンや泥を散らかしていきます。何故?縁起がいいのか、まだ疑問です。

「巣の中で6羽のツバメの雛が仲良く並ぶ」の写真

ところが昭和50年の1月親父が突然倒れ、病院へ運ばれました。まだ正月です。帰省中の叔母からききました。当時は携帯もありません。除雪も途中までしか入っていませんでした。それから3日後に亡くなってしまいました。その年から燕来ていません。まるで連絡でもあったように・・何千キロもの距離を超えてこの場所を覚えている。そう思うと、小さな体の中に大きな力を感じる。自分の生活も、少しづつ変わって来た。仕事の事、家族の事、これからの事・・・。不安もあるけれど、燕のように「帰って来れる場所」があるって、なんだか安心する。

今の私にとっての「帰る場所」はどこだろう?もしかしたら、こうして、日々を見つめ直しながら書いてるブログそのものかも知れない。

燕が教えてくれたのは、春の訪れだけじゃない。静な町のなかにも、小さな希望がちゃんとあること。そして、遠回りしてもまた戻ってこれるということ。

そんな事を思いながら、今日も少しだけ空を見上げてみた。

 

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