車が故障したままで、こんな所にいるから、不便でならない。と文句をいってます。バス停まで歩くなんて、今では無理だと思ってるけど、やって見なけりゃわからない。どうしてもそうなる状況になったらわかりませんけど。バイクの免許取るまで、そうしてたんだ・・・。思い出した!賑わうどころかスッカリ寂れてしまった。
「限界集落」化してます。
9月のお祭りだって、ただ登りがあがるだけです。「泊発電所」が稼働しだした頃は、こんなに寂れるとは、思いもしませんでした。結婚した頃ですが、随分経ちました。もうそんなに、経つのか?ついこの間の事の様です。農家も出来ずに、ここに、住まわせてもらってる分際で、勝手に不便だとか好きな事言ってますが、それでも、生まれたここは、やっぱり好きです。自分にもう少し力があれば、もっと快適に暮らせるのに、隣の鳩子にも叔父にも迷惑かけてばかりです。
ここでの暮らしは、結構体力がいります。
今は仕事が無いが、薪を運ぶだけで、疲れてしまいます。情けないありさまです。
自宅でなにか仕事を考えてしようとしても、なかなか良い仕事がありません。せめて審査の合格ができたら、なんてGoogleさん、お願いします。こんな広告も無い、読んでくれる人もいないブログ、書いて何も出来ないけど、何か仕事さえあれば移住を決意してくれる人も、居るかもしれません。寂しい暮らしは仕度ありません。それなのに、寂しく暮らしてます。うまく行かないものです。
ここにはには、「美瑛」のような美しい景色も、「ニセコ」の
ようなスキー場もありません。
静かさと空気が綺麗、星空も綺麗、位しか浮かびません。それが価値あるものなのかもわかりません。でも何処かにそれを「価値」と考えてくれる人が居ると思ってます。むかし、ゴルフ場の計画もあったのですが、計画だけで終わってしまいました。今の時代だったら、施工されていたかもしれません。ネットも普及してなかった時代の話です。雪の無いシーズンだけでも、人の往来があれば、全然明るくなるのですが、自分は何時もムスッとした顔をしています。人に会う機会が減ったので自然とそうなってしまいます。機嫌が悪い訳ではありません。
自然と「口角が上がる」ような生活を目指してます。
一人暮らしは思ったほど快適では無く、むしろ寂しいものです。気楽で良いなどと強がりも言えないほどです。自分の母もこういう寂しい思いをして居たんだと、反省するばかりです。だから知調も悪くなるのも其のせいです。申し訳ない事をしました。今、自分もそうなりそうです。ごめんなさい。
コメント